清水りょうこの実績や詳細なプロフィール
生まれも育ちも信州安曇野。
主人と息子、主人の両親と5人で暮らしております。
趣味は、キャンプ、スキー、バイク、BMX、柔道、健康、補助金活用、株式投資です。
株式会社を立ち上げて5期目になります。
情報発信のきっかっけは、
「不妊」と言われるカップルが年々増えていることを、
ニュースなどで知り、
「わたしの体験が誰かの役に立つかもしれない」と思ったことです。
「なかなか赤ちゃんを授かることができない」
「わたしに問題がある」などと、
ご自分を責めてしまい、
「妊活するのが辛い」と
大きな不安を抱えている女性が、
妊活を楽しみながら健康になり、
赤ちゃんを授かり出産へと導く。
それがわたしの使命です。
・結婚したら、自然と子どもを授かるものだと思っていました
・妊活、一念発起
・妊娠、出産、産後の苦しみ
・自分に自身の持てなかったわたしが法人設立?!
・いじめを受けていた幼少期
・「しあわせ」について思うこと
結婚したら、自然と子どもを授かるものだと思っていました
子どもを授るには、
ちょっと出遅れてしまった36歳。
そして、
妊活歴4年目にして待望の第一子を授かりました。
結婚するまでは、
自分が赤ちゃんを産むなんてことは全く考えていなかったので、
やりたい放題。
介護職で夜勤もあったため、生活は不規則でしたし、
食事がわりに、大好きなアイスやお菓子を食べる。
バイクでツーリングに出かけたり、
アウトドアスポーツやキャンプも好きだったので、
身体は冷えることが多く、
温活とも無縁でした。
お酒も、
「飲んで記憶がない」なんてことはしょっちゅうでした。
休みの日には、朝からウイスキーをラッパ飲みしたり、
ウーロンハイを作ろうとして、
ウイスキーと焼酎を混ぜてしまい、
「もったいないから飲んじゃえ〜」
なんてことをしておりました。
自分の身体にごめんなさいです。
結婚したら、自然と子どもを授かるものだと思っていました
「子どもを授かりたい」と主人に伝えると、
「このままでいいじゃん」と言われたことを、
「主人は子ども欲しくないんだ!」と勝手に思い込んでしまい、
「自分でなんとかするしかない」と作戦を立てます。
産婦人科で、検査していただいた時に、
左の卵管が詰まっていること。
子宮に筋腫が3箇所あることがわかりました。
愕然(がくぜん)としているわたしに、
先生は、
「妊娠できる確率はゼロではありません。
しばらくは、タイミング法で自然妊娠も可能ですよ」
と言ってくださったので、
自然妊娠できるように頑張ろうと決めました。
妊活、一念発起
そして、生活は一変します。
「夫婦の営み」の回数を増やすために、
おかずやお弁当に精力剤を仕込んだり、
妊婦さんのお腹を撫(な)でれば、
妊娠しやすくなると聞き、
積極的に妊婦さんに話しかけて、
お腹を撫でさせてもらったり、
妊活に関しての書籍や、ブログを読み漁(あさ)り、
妊娠しやすい身体を作るために、
お酒も飲まなくなり、
食材にも気を使うようになりましたし、
職場まで片道8kmの道のりを自転車にしました。
そして、
すっかり健康になったわたしは、
主人に、子どもが欲しくて頑張っているけど、
妊娠できないこと、
主人にも検査を受けてほしいということを、
伝えることができました。
きっと、
健康とともに、
自分を否定する気持ち、
自分が我慢すればうまく行くといった思い込みも、
変わっていったのだと思います。
主人の検査結果は、
質、量、運動量ともに基準値以上。
産婦人科で、排卵のタイミングをみてもらい、
ここぞという時には、
色仕掛け。
あまり効き目はなかったみたいでしたが(笑)
妊娠、出産、産後の苦しみ
授かったとわかった時は、
「奇跡が起きた」くらいに嬉しかったのですが、
すでに40歳でしたので、
無事に元気な子を出産できるか心配になりました。
でも、お腹の中の赤ちゃんを調べるエコーや、
染色体異常の検査は、
赤ちゃんにもリスクがあることを知り断念。
主人と相談して、
「とにかく元気に生まれてきて欲しい」と、
長年携(たづさ)わった介護職を辞めました。
バランスの良い食事、
適度な運動を続けた結果、
大学病院で元気な男の子を出産。
しかし、
赤ちゃんの呼吸が弱いという理由で、
1日保育器へ入ることに。
産後の身体は、
骨盤が脱臼したような状態でした。
2日間は歩くこともままならず、
トイレに行くにも手すりにつかまりながら行きます。
同室に入院していたママたちは、
20代後半〜30代前半。
経産婦(出産2回以上)ということもあり、
出産した次の日からスタスタ歩いています。
わたしは、体力に自信があっただけに、
「年齢が違うと、回復力も全然違うなあ」と、
あらためてショックでした。
母乳は、赤ちゃんにとっての
一番の免疫ドリンクだと聞いていたので、
「母乳で育てたい」と思っておりました。
ところが、
産後、ちっとも母乳が出てきません。
看護師さんにも手伝ってもらい、
強引に搾り出した末、やっと1滴。
そんな調子で、
退院の日を迎えます。
後々聞いたお話では、
出産後、8時間以内におっぱいを、
赤ちゃんに吸ってもらうと、
母乳の出がよくなるそうです。
わたしは、予定通り退院しましたが、
息子は、肝機能が弱かったので入院したまま。
実家に戻ったわたしは、
毎日搾乳して、病院へ母乳を届けました。
その甲斐あってか、
1週間ほどで、息子も退院。
搾乳は続きます。
まさに血の滲(にじ)むような努力の末、
おっぱいからは本当に血が出てしまったので、
助産師さんを訪ね、
母乳を出すためのコツを教わりに行きました。
「赤ちゃんに吸ってもらうと出るようになりますよ」
と言われたものの、
吸っても出ないおっぱいを、
息子は、吸ってくれません。
それどころか、
おっぱいを見ると嫌がって泣き出す始末。
助産師さんも、
「哺乳瓶で吸う方が楽だもんね」と苦笑い。
実家から我が家へ戻り、
そんなこんなで、
搾乳と布おむつを洗う毎日が3ヶ月続きました。
夜泣きも1晩に5〜6回あったので、
そのたび、ミルクを作ります。
いつも、
ノーメイクで、着のみ着のまま。
髪は、寝癖でボサボサ。
腕は搾乳と、布おむつの手洗いで腱鞘炎(けんしょうえん)。
寝不足でフラフラしていました。
それでも、助産師さんに母乳を出すための
レクチャーを受け続けていたので、
4ヶ月過ぎる頃には、
やっと母乳が出るようになり、
「念願の母乳で子育て」ができるようになりました。
自分に自身の持てなかったわたしが法人設立?!
やっと母乳が出るようになった矢先に事件が!
酒乱の義母が、
わたしの目を盗んで、
赤ちゃんにかりんとうをしゃぶらせていたのです。
一体いつから?!
指摘すると、
「こんな美味いもん食べられないなんて可哀想」の一言。
「生後4ヶ月ですよっ 信じられない!!」(心の叫び)
酔っ払っている時の義母は、
なぜか、お味噌汁を持って、
眠っている息子の顔を見に行き、
つまずいて、息子にお味噌汁をかけてしまうことが、
2回もありました。
主人にそのことを話しても、
「俺は家を出る気はないから」と言われたので、
離婚も考えました。
何かあるたびに、
息子を連れて実家に帰っていました。
実家の厳格(げんかく)な両親からは、
「嫁に行ったのだから耐えろ」と言われます。
その頃から、
「この家を出て暮らすために稼がなくては」と考え始めます。
子育てしながら、生活費を稼ぐ方法は?
実家には頼れない。
子どもを預けて、介護職に戻るか。
でも、
保育費用や、アパート代を稼ぐとなると夜勤は必須。
どうしたものか。
そんなことを考えていた矢先、
「お金稼ぎたいなら、このメルマガ読んでみても良いかもよ」と、
知人から紹介されたメルマガには、
「法人設立」
「創業融資」の文字。
怪しいと思いつつもメルマガを登録。
自分に自信のなかったわたしが法人設立?大丈夫??
なんとかなるだろうと、
セミナーを受講。
そして、
たくさんの方々の
お力添えがあり、法人設立。
ご縁があり、
フィットネス器具の販売や、
米国アマゾンのセラー(販売者)を
生業としております。
今年、5期目を迎えました。
いじめを受けていた幼少期
年中さんの頃からだったと思います。
保育園からの帰り道で、
帽子や水筒を取り上げられたり、
「ぶ〜す」
「いなくなっちゃえ」などの言葉をかけられたのは。
絵を描くことが好きでした。
活発でしたが、
目立つ存在ではなかったと思います。
小学校に上がると、
いじめはエスカレートし、
授業中は、
前の席の女の子に、
机を教室の後ろの隅に追いやられ、
担任の先生には、
「地獄の三丁目」というあだ名をつけられました。
下校途中、
「ぶ〜す」
「消えろ!」は当たり前。
ズボンとパンツを脱がされて、
帰ったこともありました。
小学校へ行くことが嫌でたまりませんでした。
「行ってきます」と家を出ても、
学校へ辿り着くことができません。
そんなわたしのことを、
気にかけていたのか、
保育園バスの運転手さんは、
何度か、
学校へまで送ってくれたことがありました。
自分に自信が持てず、
そんな自分が大嫌いだったのは、
この時のいじめが原因だったのかもしれません。
そして、
子どもは、今でも苦手です。
厳格な家庭の長女として育ったせいか、
両親の期待も大きく、
「こうあるべき」に、
今でも縛られています。
両親や周りが、
わたしに求めていた、
そして、
保育園、小学校で、
いじめにあっていたわたしが、
周りのみんなに溶け込んで生きていくために、
作り上げてきた「こうあるべき子ちゃん」
大人になった今でも、
優しくあるべき。
親切であるべき。
ポジティブであるべき。
そして、
…
..
.
「子ども好きであるべき」
もしかしたら、
「赤ちゃんを授かりたい」と思ったのも、
両親の期待や、周りの目を気にして、
「結婚したら、子どもを産むべき」と、
自分に刷り込んでいたのかもしれません。
時々、ボランティアで、
託児をしますが、
やっぱり、子どもは好きではありません。
本当のわたしと、
理想的に作り上げた
「こうあるべき子ちゃん」とのギャップは、
とてもストレスです。
しあわせについて思うこと
しあわせの形は人それぞれです。
望んでいる未来があるのなら、
いつかは、その望みを叶えたいですよね。
その願いは、
本当に自分の願いなのかということも重要です。
自分の気持ちに蓋をして、
長年生きていると、
本当の気持ちがわからなくなります。
ネガティブな自分。
誰かを羨(うらや)ましく思う自分。
周りと比べてしまう自分。
自分が嫌だと思っている部分も、
大切な「わたし」です。
嫌なものは嫌だし、
完璧な人になんてなれません。
そして、
周りの人に頼ったり、
お願いすることは必要なことですが、
自分をしあわせにできるのは、
自分だけ。
視点や考え方を変えることで、
叶うことはたくさんあります。
そして、
完璧でない自分でも、
トレーニングすることで、
できることは確実に増えます。
現在、50歳。
46歳から息子と柔道を習い始めて4年が経ちました。
「息子」と言うよりは、
「生まれた時から知っている同居人」
という感じですけどね^^
自分の人生ですから、
周りの価値観にとらわれず、
人との繋(つな)がりを大切にして生きて行く。
矛盾しているように思われるかもしれませんが、
居心地が良く、「しあわせ」感じます。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。